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「君の名は。」を観て、どうしても語りたくなってしまった (微ネタバレ)

君の名は。」を観て、どうしても語りたくなってしまった。僕がオタクなせいもあると思うが、生きていると時々何かを思い切り吐き出したくなるときがある。今がそのときなのだろうと感じている。

僕は、新海監督のファンというほど大層なものではないが、「彼の作品が好きか?」と問われれば、間違いなくイエスと答えるだろうと思うくらいには、新海監督の作品が好きである。新海作品を初めて知ったのは、「ef」という成人向けゲームのオープニングムービーがきっかけだ。当時は未成年だったので、たまたまインターネットでムービーを観ただけでゲーム自体は買っていないけども、当時の僕にとってあの映像作品が大きな衝撃だったのは疑いようがない。それから「ほしのこえ」などの過去作品を鑑賞する機会があり、大いに頭をぶん殴られるような衝撃を受けたことを記憶している。

そのような経緯があるので、「君の名は。」の話を最初に聞いたときも、映画館に必ず足を運ぼうと決めていた。しかし、実際に公開が始まると、いわゆるリア充と呼ばれる人たちが大挙して映画館に押し寄せ、連日大入り満員状態となっていた。この状況に正直当惑してしまい、僕は「君の名は。」を映画館で観ることは一旦諦めてしまった。というのも、僕は新海作品を好きではあるけども、いわゆるリア充と呼ばれる人たちにあの作風はウケないだろうと思っていたからである。

しかししばらくして、別の気持ちが湧いてきたのである。これほど多くの層に支持され、輪を広げているこの作品には、また新たな新海作品の世界が表出しているのではないか?そう思うと、その世界を自分自身で体験してみたくなるではないか。そう思った次の瞬間には、近所の映画館のチケットを買い、そのまま映画館に向かっていた。

以降、微ネタバレがあるので注意ください。


作品全体を振り返って、真面目に感想を語ってみたい。

まず全体を通して、「これまでの新海作品を総括した上で」「幅広い層に支持されるように作られている」と感じた。これまでの新海作品は、(新海監督自身の性癖の発露ではないかと思われる)人によっては「気持ち悪い」と感じる描写が見られたものだ。「君の名は。」では、過去作品と比べてかなり毒気が抜かれたようで、こうした描写は少なめである。(おそらく監督自身の強い意志によって) そのような表現が完全に排除されているわけではない。このあたりは、作品に関わったスタッフの絶妙なバランス感に依る部分も大きいだろう。

上映が始まってからの引き込みが凄まじかった。あんまり書くとネタバレになってしまうので書きたくはないが、この作品には、まるで30分アニメのような2分弱のオープニングがついている。このオープニングがまた本当に良いのである。オープニング曲のボーカルが入った瞬間 (同時に題字が表示される) に、ゾクゾクとする感覚が呼び起こされ、そこから畳み掛けるような映像とポップな音楽によって一気に期待感が引き立てられた。素晴らしい映像と音楽が深くリンクすることによって生み出される情動だ。この感覚は、これまでの新海作品とはまた違う方向性だと思う。それ故、新海監督の新たな可能性が感じられるものだった。そのあと「前前前世」が流れるあたりで、引き上げられた作品への期待は確信に変わり、終盤の「スパークル」が流れるところで涙腺は完璧なまでに破壊されてしまった。

映像としての描写は、以前より定評のある通り、非常に高いクオリティだ。予告編にもある通り、この作品では都会と田舎が対比的に描かれる。躍動する都会の美しさと日本の原風景と言ってもよい田舎の町や山々の美しさをきちんと描いている。これは、監督自身の能力ももちろん、結集したスタッフの素晴らしい能力の賜物といえる。

映像としての美しさに華を添えるのが、RADWIMPSの音楽である。僕はあんまりRADのことを知らなかったので、音楽をRADがやると聞いて、正直どうなんだろうと今から思えば失礼なことを考えていた。しかし、日常シーンで流れる疾走感がありポップな音楽、それとは対照的な終盤の透き通るような音楽、いずれもこの作品において物語を紡ぐ上で重要な役割を演じていることに気づくのだ。音楽を聴くだけで、映画のシーンがありありと思い出されるほどに、音楽と映像が明確にリンクした体験が得られるのである。あまりに音楽が良いので、2回目を観終わったところで、CDも購入した。


改めて構成を振り返ってみると、日常シーンのコミカルな演出があることによって、却って終盤の切なさが強く感じられる構成になっていると感じる。新海作品は、人と人との距離やすれ違いから生まれる切なさを主題としているものが多い (「ほしのこえ」や「秒速5センチメートル」はそのわかりやすい例だろう)。「君の名は。」もその例外ではない。それは、そもそも面と向かって会ったことがないという事実だったり、(ネタバレになるので書けないけども) もしかすればそれよりもっと残酷な現実だったりである 。後半では、この残酷な現実を鑑賞者に突きつけることで、前半のコミカルな演出との明確な差を生み出し、印象を鑑賞後に強く残すものとなっている。これまでの新海作品とくらべても、人と人のすれ違いについての描写がより重層的であり、厚みを持っていると感じた。

そして、その後にある回想シーンである。ここでは決して多くのセリフは語られないが、この作品の世界観、そして物語の核心に触れる部分が端的に語られる。強く脳に焼き付くシーンである。このあたりの演出や構成の技巧についても、新海監督の新たな可能性を見つけた気持ちになる。

後半から終盤の少し手前までの部分については、やや超展開気味というか、構成が雑だと感じる人もいるかもしれない。もやもやとする部分のうち一部は、「君の名は。 Another Side:Earthbound」というスピンオフにあたる文庫本でおぼろげながら語られている。映画を見た後は、ぜひこちらも読まれることをおすすめする。分厚い本ではないし、文体も平易なのでサクサクと読めると思う。

過去の新海作品を知っている人からすると、過去の作品に影響を受けたのだろうなと思える描写が随所にあるのが、この作品の特徴ではないかと思う。特に「秒速5センチメートル」を意識したと思われる表現が多く見られるように思う。これまでの作品で培われてきた表現がふんだんに盛り込まれていることが、この作品を「新海監督の集大成」であると、より感じさせているのかもしれない。

過去の作品に比べればだいぶ改善されたと思うが、細かい部分の作り込みは正直まだ甘いと思う。もやもやする部分がないわけではない。しかし、これまで書いてきたことと比べれば、それらの矛盾や雑さは瑣末なことだと僕は思う。映像としての美しさや、作品が語ろうとしている主題を優先した結果であると、肯定的にみている。

この作品には、「小説 君の名は。」というノベライズがある。ノベライズと呼ばれていることからもわかる通り、大枠で映画のストーリーを文章に起こしたものと捉えてよい (一部の描写は異なっている)。しかし、映画があくまで第三者視点でストーリーが展開していくのに対して、小説では登場人物の視点でストーリーが進んでいく。それ故、映画と小説は相互補完的な関係にあると言えるだろう。

本当は、タイトルに句点が使われている理由についても僕なりの考えを示したいところだが、物語の核心に触れる話になってしまうので、ここでは控えておこうと思う。


とにかく本当にいい作品だったので、あと2回は映画館で見たいと思っている。既にシネマシティの極音上映のチケットは購入済みで、土日に見に行く予定である。