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Kohaku Lab

ガジェットとカードが好きな人のブログです。

大学は出席を取るのをやめればよい

Twitterを見ていたところ、次のような趣旨のツイートが流れてきた (該当ツイートはすでに削除されている)。

教室での授業で、私語に業を煮やした先生が、「喋ったやつが出て行くまで授業を再開しない」「早く出てけよ」「出てかないなら理由を前に出てきて学籍番号と名前書いてから喋れよ、マイクは貸してやる」「早くしろ、筋を通せよこういう場では」などと述べた後、「民主主義を教えてやる。喋ったやつに出て行って欲しい人は挙手を。」「これが民主主義だ。早く出てけよ、誰もお前がこの教室にいることを望んでないんだよ。」等と発言した。

それを受けて、学生は、「申し訳ないけど出て行ってくれない?授業続かないと困るんだけど。」「早く出てって」などという声を上げたり、喋った人のとこまで歩いてって、「出てってください」というなどした。

この話、いろいろ突っ込みどころはあるんだろうけども、こういう私語をする学生が出てくるもともとの原因といえば、「出席点」なる謎の制度のせいではないだろうか。

私は、出席点なる制度は百害あって一利なしだと思っている。まず、私語をするなどの授業の障害となる学生が出てくる。大学生相応の精神を持っている人間であれば、出てきた授業でべちゃくちゃしゃべるような人間は不可思議な存在かも知れないが、大学という場所はたくさんの人間がいる。たくさんの人間がいれば、自ずとそういった幼稚な人間もいるものなのである。こういった人間は、「私語を発見したら減点とする」といった攻撃的な施策をとらないと、私語をやめることがまずない。しかし、元々はといえば、出席をすれば一定の点数がもらえるという制度のために、聞く気もない講義に出てくるような学生がいることが問題なのである。そういった勉学意欲の薄い学生を生み出すのが、出席点という制度である。

また、授業に顔を出すだけで、一定の点数がもらえるという仕組み自体にも疑問を呈さざるをえない。大学の成績は、その講義で学ぶべき事項がいかほど身についたかで付けられるべきであり、授業に出た回数などといった「参加賞」で付けられるべきものではない。授業に出ていても、全くその授業の内容が身についていないのであれば、単位を出すべきでないし、授業に出ていなくても、その授業の内容を習得したとみなされるのであれば、単位を出すべきである。学生を授業の本質からそむけさせ、「顔だけ出していれば良い」という怠惰な状態にしかねない出席点という制度は害悪である。

大学は、社会保障ではない。一定の水準を満たしていないと判断した学生に単位を出すべきではないし、出席という本来勉学とは無関係な行為によって点数に下駄を履かせるような行為も無用であると私は考える。